由緒・沿革
 

由緒・沿革

徳玄寺

徳玄寺は室町時代から戦国時代に代わる頃、青森県五戸で開山しました。それから南部氏が三戸から盛岡に移るにおよび、江戸時代前期(1624~1644年)玄海のときに現在地に移転しました。徳玄寺の紋は南部家と同じ「九曜付き向かい鶴」です。ここから古くから南部氏とかかわりがあったと推察されます。また、徳玄寺には中学時代の宮沢賢治が下宿した部屋があります。5年生になり寄宿舎を出された賢治は大正2年から徳玄寺に下宿し盛岡中学を卒業しました。

左:九曜付き向かい鶴 右:宮沢賢治 (ウィキペディアより)

銭掛の松伝説

徳玄寺御本尊
徳玄寺御本尊

ある年の秋の雨降る夕暮れのこと、徳玄寺の和尚は、読書の合間に縁側に出て時雨の風情を愛でていると、笠も被らない一人の老僧が山門を入ってきました。和尚の側に来ると菰に包んだものを取り出して「胴体の無い首ばかりの如来様でございますが、どうぞ買っておいてください」といいます。

「いったいいくらで売るつもりかね」と問うと「三貫文」と答え、あまり安くないものの、名工の作と見えて鑿のあとも床しく、この雨降りにわざわざ来たのも何かの縁と思い、三貫文を渡して買い取りました。

銭掛けの松(2代目)
銭掛けの松(2代目)

翌日は雨があがり、和尚は朝の勤行を済ませて外に出ると前庭の松の木に銭が吊してありました。不思議に思ってよく見ると、それは昨日老僧に渡したはずの三貫文でした。忘れていったに違いないと待っておりましたが、何日経ってもその老僧が再び姿を見せることはありませんでした。そして、しばらくその首に継ぐべき胴体を見つけようとあちらこちらの古道具屋を探しましたが見つけることもできませんでした。何年か経って、和尚は如来様の首を持って江戸へ出かけると、図らずもある古道具屋で胴体ばかりの仏像を見つけ、持っていた首を合わせてみるとぴたりと合いました。和尚は非常に喜んで値段を聞くと二十両もの大金。胴体のみでは高すぎる、値引きしろといっても一文もまからぬといわれ、やむをえず首だけ持って立ち去ろうとしますが、どうしても首と胴が離れません。仏縁だと納得し、和尚は二十両を払ってこの仏像を持ち帰り寺のご本尊としました。